私は男性が苦手だ。
理性的に考えて苦手だが、本能的には軽蔑している。
なのに、恋人はいたし現在は結婚している。
子供もいる。
人生これ以上ないと思える大恋愛も経験した。
でも、男性が苦手だ。
私は子宮頸がんに罹患し来月、子宮を摘出する。
これまで性的被害やレイプ、売春、風俗、不妊治療、出産…数々自分の身体をいためてきて、20代でホルモンの病気になったときは子宮を摘ってくださいと医師にお願いするほど辛かったのにいざなくなると思うと逆に辛さがこみあげてきた。
これからそんな私の過去の話をしていこうと思う。
読んでいていい気分にはならない。
特に私と同じように男性へのトラウマがある人にはおすすめはしない。
読み進めるのは自己判断でお願いするとともに、この文章はこれから子宮全的を控えた私の心の整理でもあるので読んでいただける方はしばしお付き合い頂けたら嬉しい。
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私のことをざっと紹介すると、中学校に入るまでに性的被害を3度経験している。
その間にイジメも経験したが、中学校でどんどん「自分」が「自分」でなくなっていったことは誰も知らない。
ただ救いだったのは自分は根が真面目だったこと。
それから、環境がそこまで劣悪ではなかったこと。
根が真面目で環境がまだ良かったことで人生を完全に棒に振ることはなかった、と思いたい。
私は性的被害で自分を見失い、男性を軽蔑し、15歳で当時新しかった言葉「援助交際」を始めた。
今は出会い系、パパ活なんて言われるけど何ら変わりない。
自分の身体を提供してお小遣いをもらう行為を繰り返すようになった。
後に詳しく書く予定だが、ここでもひどい目に遭い鬱に陥っていく。
その状態は良くなることなく、それから10年後26歳の私はとあるお店の看板風俗嬢として歓楽街の軒先に立ち、生計を立てるようになった。
その月収は多いときでは150万円。
なのに、自死を選択する。
今こうやってパソコンを手に取れているので命を落とさずには済んだが、その後後遺症などでも苦しんだ。
身体も、心も痛かった。
あの時自分を見失わない方法はあったのだろうか?
そんな方法、あったのだろうか。
そんなことを考えて生きてきた。
私が自分でなくなった瞬間は5歳にまで遡る。
今こうやってキーボードを打てるのは過去を昇華できたからで、でも過去は消えない。
私は忌まわしい過去と身体の傷を背負ってこの命が尽きるまで生きていかなければならない。
それでも私は生きていくという決心をし、治療に励んだ。
ベッドで手足縛られて入院していた君が社会復帰できるわけがないと言った精神科医に背中を向け、私はあの日以来その精神科の診察室の扉は叩いていない。
そこからの私は時々心身体調を崩すものの、誰の力も借りず自立した生活ができるようになっていった。
今度は失敗しないぞと3度目の結婚をし、双子を出産。
苦しんだ過去はあるけど過去がなかったら今の私はないという意味で、私は今の自分がとても好きだし、生きることに積極的だ。
こんなに毎日が(いやなこともあるけれど)楽しいと思ったことは、今の旦那と結婚するまで一度もなかった。
そんな中での子宮頸がん発覚。
がん告知と同時に、子宮全摘を言い渡されて私の頭はどっちが理由で真っ白になったのかはわからない。
が、たぶん前者だ。
女で生まれた故に性的被害に遭い、自分の性別を憎んだ時もあった。
そしてまた女性器があるゆえに婦人科系の病気に苦しんだときもあった。
だけどがんという現実を突きつけられて
「年内にあなたの子宮を摘出します」と予告をされて
いざそうなると苦しみがぶり返す、おかしな話だけど今の私はその日が近づくたびに苦しみが増えている。
女性は子宮がなくなると身体的な後遺症があるだけでなく強い喪失感を感じたり女性性が欠如したような感覚になるという。
もちろんそれは個人差があって、生理がなくなって楽になったと感じる女性もいるだろう。
しかし私は過去の経験を風俗という場所で受け入れ、女性として生きていく決心をした後
また
(私は機能的に妊娠ができないので)体外受精とはいえ双子を授かって出産した後
そんなときのがん告知だったので頭が真っ白になったのだ。
出産し母性が芽生え母親として家事育児をこなし、過去社会復帰ができないと言われたかけらなどどこにもみえなかったであろう私が、突然子宮を失うことになった。
ここでは子宮頸がんそのものを扱っていないので子宮頸がんについての話は割愛するが、一言だけ説明すると子宮頸がんは援助交際も風俗勤めも全く関係がない、1度でもセックスの経験があれば誰でも罹患する可能性のある病気だ。
私は自分の過去をあまり人に話したことはない。
話したところで内心軽蔑されるか、話のネタにされるかくらいだと思っていたし、特別仲のいい友達もいなかったので話したことはないけど
過去にこんな経験をしてきて自分が憎いと思っていてもいざ子宮がなくなるとなると不安や恐怖が押し寄せてくるものである。
私は他人よりひと一倍、子宮への執着が濃いと感じている。
それは、女性器に関わるいろんな経験をしたからだ。
そんな私が、子宮摘出をどんなふうに受け入れるのか自分でも興味があるくらいにはまだ自分ががんになったことを受け入れられていない。
どこか他人のようで、でも、我に返れば涙があふれる、今そんな毎日を送っている。
前置きが長くなったが、これから数回にわけて自身の財産についてつづっていく。
すでに受け入れた過去の話だからできるだけオブラートに包んで記載するが、人間いろんな人生を送っているものだ程度に読み進めていただけたらこれ幸い。
それではまた、次回の更新で。
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